テレビを観ていれば、何かやましいことをしたとき、いちばんやってはいけないのは隠すことだ、という真理はおのずと理解できるはずだ(例:「『元カノと会ったけどやましいことはしてない』っていうけど、隠してたってことは、まだ向こうに気があるってことでしょ?! 先に私に言っておいてくれれば、何もないっていう言葉にも納得したのに!!」というセリフ)。隠すということが罪なのだ。もちろん、隠そうが隠すまいが浮気は悪だ。しかし、科学技術の発展のおかげで、パートナーでもない相手とのDMのやり取り、セクスティング、親密なメッセージを送り合うことがすっかり一般化しているこんな世のなかでは、〈不貞〉の定義も曖昧だ。にしても、お尻の写真や、夜中2時の「会いたい」といったプラトニックなメッセージがやましくないなんてことがあり得るのか? 3カ月前のパーティ以来、チーズのかかったフライドポテトを食べながら、自分への好意をにおわせてきた相手と毎日毎日メッセージのやり取りをしていて、それでもなお「ただの親友だよ」なんていってもいいのだろうか。
おそらく、答えはイエスだ。そういう場合、原則として確認すべきは、誠実さとコミュニケーション。もし、パートナー以外の相手とのそういうやり取りを、パートナーに隠す、あるいは自分の携帯にペニスの写真を見つけたパートナーがうろたえるだろうとわかっているのであれば、それは浮気だ。もし、他の誰かとのセクスティングを、おもしろいしワクワクする、という理由で許し合う関係をパートナーと築いているのであれば、もちろん、それはかまわない。
Videos by VICE
浮気か否かの境界線は何か。モノガミー的な恋愛関係にある知人女性は、もし自分のあずかり知らぬところで、自分のパートナーが他の誰かとラブラブなメッセージを送り合っているのを知ったらショックだ、と語る。そう、〈自分のあずかり知らぬところで〉というのが最悪なのだ。「絶対浮気、とも思わないけど、浮気か否かを決めるのは私」と彼女はメールで説明する。「パートナーに、大切なひとがあなたの他にもいてそれは理解してほしい、と告げるのであれば良いと思う。この先、パートナー以外とは親密なやり取りをしちゃいけない、というのもおかしいし」。そして彼女のメールは「たっぷりの愛をこめて!」と締めくくられていた。もし、男性へのメールをこう締めくくっても浮気になるのだろうか? いや、ならない。
長い付き合いのパートナーがいるというある女性は、もし自分の彼氏が他の女性と親密なやり取りをしていて、それを自分に隠していたとしたら「100%浮気」と断言する。「彼に、実はSNSで趣味の合う女性とメッセージをやり取りしてる、でも性的な内容は特にない、と打ち明けられたとしても嫌。嫉妬して不安になるかもしれないから。でも、それを浮気とは判断しない」と彼女は説明する。「彼と話をして、納得するように努める。まずはそこから」
「誰かと付き合うって、自分の身体のみならず、気持ちや不安、自分のダメな習慣を含む全てを共有できる相手を見つけることだと思う」。彼女はこう結ぶ。「パートナーが他の誰かとそういう関係にあって、それを私に黙っていたとしたら傷つく。浮気じゃないとしても、彼がその女性を私の人生にも巻き込もうとしてるってことだから」
恋愛マッチメーカーサイト〈 Lasting Connections〉の創設者で、デートコーチのサミーラ・サリヴァン(Sameera Sullivan)は、パートナー以外との親密な、秘密のやり取りは絶対に許さない、と強調する。「パートナー以外の第三者と精神的な関係性を築くなんて、浮気以外の何物でもありません」とサミーラ。「セクスティングだろうと、ふつうのメッセージだろうと、パートナーとのあいだに築いてきた信頼や絆を裏切っている。健全な関係には、何よりも敬意と信頼が欠かせません。いちどそれが壊れれば、修復は困難です」
しかし、親密なメッセージのやりとりが肉体関係の浮気に発展するのと同じように、このロジック自体もパートナーとの関係を悪い方向に導きかねない。他の誰かと何か意義深い会話をしたら、必ずパートナーに報告しなきゃいけないのか? モノガミー的な恋愛関係とは別の、まったく違う場所に存在する、定義こそ曖昧ではあるが〈友情〉を欲してはいけないのか?
究極的には、〈誠実な関係性〉の定義もひとそれぞれだ。「カップルは、自分たちにとっての〈モノガミー的な関係〉とは何か、ちゃんと定義しておかなきゃいけない」と語った友人がいたが、私も賛成だ。「相手が嫌がらなければ、それは浮気じゃない。でも、もし相手が嫌がることをこっそりしているのであれば、それは浮気」。超オープンな恋愛観をもつゲイの友人も、その言葉に賛同する。「彼の携帯のなかに誰かのペニスの写真を見つけても僕は気にしない。彼が隠そうとしてないから。僕たちは、他の誰かが送ってきたヌード写真をよくシェアし合ってるんだ。でも、もしそれが隠しフォルダに超厳重にしまってあったら、不安になる。彼が正直に話してくれている限り、浮気だと思うことは絶対ない。隠しているとなると、ちょっと話が違うぞ、と感じる」
今、特に大好きな彼氏がいない私にとっては浮気なんて関係ない話だ。それでも、割と頻繁に、明らかにパートナーいるよね? 婚約者いるよね? 既婚者だよね、と問いただしたくなる様々な男性から、やたら親密なお誘いメッセージが送られてくる。Tinderで自分のパートナーが他の女に「もしこのへんに来ることあれば連絡してよ😉」なんて送ることを歓迎する女性がいるとすれば驚きだ。忘れもしない、私も3年前、Tinder上でコメディライター(もちろん怪しいってことは承知してる)と1週間ほどやり取りをしたことがある。彼は、遠距離の彼女がいる、といっていたけれど、モノガミー的な関係ではない、というので、私たちは会う計画まで立てていた。しかし、私が計画を進めようとすると、ついに彼は白状した。実は、自分がTinderに登録していると彼女は知らない、彼女は僕たちの関係をモノガミー的関係だと思ってる、と。どうやら私には、意図せずに男に口を割らせる不思議な力があるらしい。そして彼はTinderから姿を消し、私はシャワーを浴びながら怒りに打ち震えた。この場合、彼は浮気をしていたといえるか? 『マイノリティ・リポート』( Minority Report, 2002)みたいに予知能力を利用して誰かを罰したくはないが、あれはどう考えても浮気だろ、と私は思う。そもそもTinderに登録して私とメッセージのやり取りをしている時点でそうだし(もし会ったなら、彼はよろこんで私と身体の関係をもっただろう)、その事実の都合の悪さを認識したうえで、パートナーに隠していたのだ。彼の行為は、パートナーと私への不誠実による司法妨害であり、罪の意識を示唆している。
繰り返すが、パートナーがいるのにマッチングアプリで出会いを求めようとすること自体は悪ではない。それははっきりとさせておきたい。フランスの哲学者、シモーヌ・ド・ボーヴォワール(Simone de Beauvoir)にいたっては、51年も続いた、ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)との自由恋愛を認める契約結婚について、「私の人生最大の、疑いようもない成功」と評している。彼女のその言葉から、浮気が浮気になるのは、パートナーと相互に取り決めた境界線を超えたときだ、とわかる。サルトルとボーヴォワールは、第三者との性行為や、いちゃつきを互いに認めていた。あなたがそういう〈契約〉をパートナーとはっきりと言葉にして結んでおらず、それでもこっそり恋愛的、性的な刺激を求めたい、それでもパートナーとの関係は保持したい、というのであれば、自分が不誠実にならざるを得ないので、今の関係性を改めるべきだ。ボーヴォワールは、著作『女ざかり』( La Force de l’âge, 1960)で、誠実であること、パートナーに「全てを証言する」ことが私たちを解放する、と説く。
ひとつの志が私たちを燃え立たせた。全てを受け入れ、全てを証言すること。それにより、私たちが別々の道を行かなければならないこともあった。それでも、私たちはどんなにたわいもない発見も互いに打ち明けた。私たちは共に、この志に従った。だから意見を異にするときも、私たちの意志はひとつであるように感じられた。それは私たちを結びつけると同時に、解放した。その解放のなかで、私たちは最深部でつながり合っている自分たちを発見した。
結婚を目前に控えたある女性はこう述べる。「私の経験では、〈もしパートナーがこれを目にしたら、彼は何というだろう〉と考えるのが有効だと思ってます。もしそう考えて、うしろめたさを感じるのであれば、それは良くないんです」。うしろめたいことはしない、というのがひとつの法則といえるだろう。でもその法則も、全てに当てはまるわけではない。例えば、エミリー・ラタコウスキー(Emily Ratajkowski)のInstagramを見てオナニーしたことなら、黙っていたってかまわない。それは自分の心のなかにしまっておこう。