DINOSAUR JR.が生まれてから30年。しかし、その歴史はこの先も続くだろう。こんな経歴のバンドは滅多にいやしない。11枚のフルアルバムをリリース。オリジナルメンバーは途中で脱退。活動休止期は10年間。しかし、そんな山や谷を乗り越えて復活したDINOSAUR JR.は、現在オリジナル・ラインナップで大活躍中。それぞれ50歳を越えたメンバーは、猛烈にロックしまくっている。J・マスキス(J Mascis)、ルー・バーロウ(Lou Barlow)、そして気さくなマーフ(Murph)は、最新アルバム『ギヴ・ア・グリンプス・オブ・ホワット・ヤー・ノット(Give a Glimpse of What Yer Not)』のリリース後、世界各地をツアー中。また、9月末にカリフォルニアで開催された『デザート・スターズ・フェスティバル(Desert Stars Festival)』では、大トリを務めた。
私がルー・バーロウと話したのは、その『デザート・スターズ・フェスティバル』の最終日だった。彼は、その日の早い時間帯に、自身のバンドSEBADOHで演奏し、DINOSAUR JR.でフェスティバルの大トリ、二役をこなしていた。彼は一貫して、このようなスタイルを貫いている。最近のインタビューでバーロウは、「Jとはほぼ口をきいていない」と明かしているが、この事実は、バーロウにとってのDINOSAUR JR.が、「仕事」であるのを明確に語っている。世界中を旅する楽しい仕事とはいえ、それはやはり仕事なんだ、と。
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ファンにとってこの告白は、DINOSAUR JR.の伝説を打ち砕くものかもしれない。しかしバーロウ自身が、現実的なミュージシャンの一面を晒すのに、恐れを抱いていない証拠でもある。ツアーで稼ぐのは、Spotifyよりも、遥かに儲かるのは事実なのだから。しかし、ツアーのために『ギヴ・ア・グリンプス・オブ・ホワット・ヤー・ノット』がつくられていたとしても、今作に収録されている「Be a Part」や「Knocked Around」などは、間違いなくDINOSAUR JR.史のなかでもベストの楽曲だといえる。『ギヴ・ア・グリンプス・オブ・ホワット・ヤー・ノット』は、切れ味が良く、洗練された素晴らしいアルバムであり、プロフェッショナルな作品だ。バーロウの発言により、ファンが落胆していたとしても、今作は紛れも無い傑作なのである。
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ここまでDINOSAUR JR.のツアーはどんな感じですか?
すごくいい感じだよ。意外とね。
ツアーではニューアルバムの曲をやっているんですか?
新曲は6曲ぐらいかな。僕たちにとっては多い方だ。僕らはいつもニューアルバムの曲をどっぷりと掘り下げてやらないからね。古い曲を弾くのが好きだし、新曲だけ演奏するっていうのは絶対あり得ない。
ショーの内容は、Jが仕切っているのですか?
そうだね。彼が大半を仕切っている。Jは、歌いながら演奏しているんだから、彼に決定権があると僕は考えているよ(笑)。何の問題もない。彼にはやるべき仕事がたくさんあるからね。
DINOSAUR JR.は、30年も活動していますが、やはりそこにはアーティストとしての情熱があるんですか? それとも仕事だから?
「素晴らしく良い仕事」ってところかな。
アーティストとして考えると、タフな仕事なのでは?
そうでもないよ。
ではSEBADOHは、どうなんでしょう?
自分でやるしかないからね。もちろん僕がすべてをこなしているよ。ホラ、よくあるやつだよ。仕事の意味について、もしくは自分の愛するものを仕事にするという事実について、もちろん葛藤した時期もあったような気がする。自分を売る、とかね。でも、そういうのは、もうどうでもいい。僕は演奏するのが本当に好きだし、とてもラッキーだと感じている。これが僕の仕事だよ。もし僕がDINOSAURやJの曲、SEBADOHの曲、もしくはライブ演奏自体が好きじゃなかったら、もっと仕事っぽくなって、続けるのが難しくなるに決まっている。
新しいアルバムには、あなたの曲も収録されていますが、Jから何曲か割り当てられるんですか? それともレコーディング中に、あなたが持ってきたアイディアから、Jが好きなものだけを選ぶとか?
おそらくだけど、Jは初めから僕に参加して欲しかったんだ。ファーストアルバムは、彼がすべての曲を書いた。セカンドでは僕も少し書いた。だけど、サードアルバムをつくる頃になって、僕はそのやり方に息苦しさを覚えるようになった。その後、僕は脱退したけど、2005年に戻って来たときは、Jが僕の曲を望んでいるだろうと想定していたし、実際そうだったんじゃないかな。僕にとっては当然の話だし、歴史上のベースプレーヤーは、「いくつか曲を与えられる」って、仕来りもあるからね(笑)。つじつまが合っているし、僕はまったくそれでいい。
現在のあなたとJの「冷え切った関係」については、死ぬほど報道されていますが、それに反してDINOSAUR JR.は、あなたが再加入した2005年以降、さらに勢いづいていますよね?
バンド初期もすごく勢いはあったけれど、長いこと続かなかっただけだよ。85年〜89年のちょうど4年間くらい。僕が抜けたあともバンドはかなり成功していたと思うけど、僕が残っていたとしても、やはり同じような道を辿っていただろう。
アルバムリリースは、単にツアーに出るための手段だと考えていますか?
そうだね、その通り。Jもそう考えているはずだね。ツアーは稼げるから。それに僕らはずっとそうやってきたから、違う方法を知らない。実際、これまでのレコード売上や、ロイヤリティで儲かった経験も無い。歳を取って子供もできれば、あらゆる責任が生じる。そりゃ働き続けるしかないだろ。それに僕らが本当に生きがいにしているのがツアーなのも事実だしね。
『デザート・スターズ・フェスティバル』のような、ファンと交流できるオープンなフェスは好きですか?
好きだね。でもフェスのサイズに関係なく、僕は他のバンドを見るために歩き回っている。ATP(All Tomorrow’s Party)みたいなフェスが盛り上がってきた頃…今の汚れた遺産は置いといて…とにかく初めはかなり素晴らしいフェスだった。バンドとファンが一緒でね。バンドとファンの境界線が曖昧なところが本当に好きだった。ある意味それは、僕たちの遺産でもある。僕らはその第一世代のインディロック・シーンから出てきたし、真の音楽が地上に降りてきた時代だった。今でもライブ後は、真っ直ぐ寝床に戻ることができるけれど、僕らは、僕らを観るファンと同じくらい音楽のファンなんだよ。
『ギヴ・ア・グリンプス・オブ・ホワット・ヤー・ノット』の反響はチェックしていますか?
いつもレビューの1つや2つは読むんだけど、あれはキツイ。批評されるのはキツイ。好きなことをいいやがればいいし、いえるべきだし、もちろんそれでいいんだけどね。でもインターネットのおかげで自分についての戯言がググレる様になってから、大量に酒を飲んでは、次の日に死ぬほど二日酔いになって落ち込む。僕は、そういうのにも物凄く影響を受けたり、傷ついたりもするんだ。Jは「そんなもん読まない」とクールな態度を取ってるけどね。僕も彼のようになろうと努力しているよ。でも、なぜだかわからないけど、良い批評もムカつく。常に何かしら見下ろしているか、根本的に間違っているからね。
ニューアルバムのレコーディングは、どれくらいかかったのですか?
1日4〜5時間くらいやって、3ヶ月ほど。とてもいい労働時間だ。ここ最近の僕らのアルバムは作曲、レコーディング、そしてツアーまで、非常に一貫している。僕は一貫性が大好きだ。すべてがやり易くなるからね。それにこのバンドは滅多にインタビューを受けないから、僕らがそんなプレッシャーに晒されることも無い。若い頃は、アルバムだけが成功を左右する状況もあったけどね。
それにしても30年は長いですよね。
そりゃそうだけど、みんなそうだろ。仕事なんだから。職業なんだから。理想としては、やってることをどんどん上達させるだけだ。
でも、そんなミュージシャンあまりいないですよね?
そうだね。年が経つに連れ、それほどいいアルバムを出せなくなるかもね。
でも、DINOSAUR JR.は出しました。
これまで、本当のブレイクをしていなかったのが良かったんじゃないかな。確かにDINOSAUR JR.は90年代半ばにピークを迎えたし、僕のSEBADOHも同じ頃にまあまあ成功した。でも一度も「ロックの殿堂」に受け入れてもらえていない。だからこそ、ある意味まだ可能性があるんだ。おかしな話だろ。これだけの年月やって、まだこのバンドには可能性があるって。それに、僕らのライブも年を追うごとに、より良くなっているからちょっと面白い。50歳にして、「ま、悪くないバンドだ。彼らには可能性があるよ!」って。
では、お気に入りのバンドをいくつか紹介してください。
たくさんいる。でも基本なところを話そうか。THE RAMONES、BLACK SABBATHかな。クラシック・ロックは、クラシックである理由がある。僕が若かった頃は、本当に素晴らしいハードロック・バンドがたくさんいた。60年代と70年代の頃のクオリティは無限だ。無限大に感激させられる無限の渦だ。
現在では、インターネットでなんでも聴けますしね。
YouTubeは素晴らしい。僕は、二流のハードロック・バンドを驚くほど見つけた。あと、あの頃のパンクロックとニューウェーブも素晴らしかったね。82年か83年に、最初のバンドを始めたんだけど、その頃にアメリカのパンクとハードコアのシーンが固まりつつあった。僕らは心からそこに参加したかったよ。さらに遡って、70年代の後半は、ディスコやニューウェーブとか、音楽のスタイル自体がすごく面白い時期だった。それらすべてが一緒になって、ラジオを聴くのが楽しかったね。ラップも本格的に始まっていたし、本当に素晴らしかった。
ラップはよく聴きますか?
前はよく聴いた。LAに住んでいた頃、最高のラジオ局があって…
『KDAY. 93.5』ですね。
それ! あれは最高だった。レンタカーを借りて、聴きながら走り回ったよ。80年代後半から、90年代前半のギャングスタ・ラップが大好きだ。最高だね。
あなたは、率先して新しい音楽を探すタイプですか?
探す努力はする。そのためにFacebookを使うのがすごく好きだ。子供たちより早く起きて、小さなスピーカーを持ち出して、Facebookでみんなが何にリンクしているのかをチェックするのが大好きなんだ。簡単に情報が手に入る。見当をつけなくて済むからね。
でも、簡単に音楽を削除できる時代にもなりました。誰かが人生の2年間を費やしたものを1秒で消せますからね。
そうだね。でもそこに自分も関与しているから、あまりそういった部分について考えないようにしている。僕は、誰かが5秒聴いて削除するために存在しているんだよ。レコードを買う理由がたくさんあった昔の方が良かったともいえる。アルバム・ジャケットを基準に買えたし、もし好みじゃなかったとしても、もう一度聴く努力をした。今はリスナーが絶大な力を持つ神になった。
今回のように、両方のバンドで出演したことはありますか? それとも今回が初めてですか?
あるよ。1番好きなスタイル。SEBADOHは、いつもライブの間隔が6ヶ月空く上に、ちっとも練習しない。逆にDINOSAURは、すごくタイトだから、いい意味でペースが変わる。いつも空想してるんだけど、僕らのバンドがみんな大家族になってツアーするんだ。Jもソロを演奏して、僕もソロを演奏して、自分たちがフェスティバルになるのはどうかなって。
今回一緒にツアーしているHERON OBLIVIONは、非常に良いバンドですね。今までで気に入っていたツアー、もしくはラインアップは?
HERON OBLIVIONは確実に上位。彼らは素晴らしい。あとは、PRIESTESSっていう、とてもかっこいいバンドがいた。誰も僕ほど彼らを好きではなかったみたいだけど、短いツアーを一緒にしたんだ。カナダのヒップスター・メタル・バンドで、パワーポップ・メタルをやってるんだよ。ガキが黒い服を着てね、僕は大好きだった。あとCOMETS ON FIREとも何度かライブしたけれど、彼らも素晴らしい。彼らはHERON OBLIVIONとも繋がっているんだ。あとMATADOR RECORDS繋がりでカート・ヴァイル(KURT VILE)ともよくやったね。
現在DINOSAUR JR.は、Jagjaguwar Recordsに所属していますよね。彼らとはどうですか?
別になにもない。他人の戯言を聞かなくても良くなるのが、歳を取る素晴らしさだ(笑)。まぁ、僕らは若い頃から、誰にも何もいわれなかったけどね。少し後になってからレーベルに「ヒット曲はどこにある?」なんていわれたけど。しかし少なくとも、最近の4枚に関しては、誰もなにもいわない。僕らがつくり終わったら、レーベルに渡して、彼らの好きなようにしてもらうんだ。誰のクソみたいな意見にも恩義を感じなくて済む、っていうのは、ある種素晴らしいね。
SEBADOHの次のアルバムの予定は?
まだわからない。僕が東海岸に戻ったら、いつでもできるだろうね。メンバーはブルックリンにいるから、そこから連れ出せない。でも、僕はブルックリンに行くつもりはない。ブルックリンは素晴らしい所だけど、すべて高くつく…クソだ。訪れるには最高だけど、あそこでレコードをつくる気にはならない。悪いけど正直にいうよ、あそこはクソだ。
『ギヴ・ア・グリンプス・オブ・ホワット・ヤー・ノット』の中で、演奏するのが好きな曲はありますか?
「Going Down」だね。パワーポップ・メタルだよ。
メタル好きですか?
いや。でも僕にとってのメタルは、単に凄くいいパワーポップってところ。「チッチッチッチッ」で始まって、「ガーガーガー」ってなる曲は、誰もが大好きだろ? Jは、未だにそういうポイントを放り込むのがうまい。最高だ。ヘアメタルは大好きだった。ハードコアとかにハマってたときも、MÖTLEY CRÜEの「Shout At The Devil」は大好きだった。ああいった1発屋ヘアメタルアバンドすべてね。どれも凄くいいパワーポップなだけだ。
ハードコアはどんなものを聴くんですか?
普通のだよ。BAD BRAINSとかMINOR THREAT、TEEN IDOLS。Dischord RecordsとかSSTの初期の頃とか、そういうのすべて。82、83年頃は、僕と同じ年頃のキッズたちは、どんどん速く弾くようになってね。それもは目も眩むような速さだった。そこからスピードメタルになるか、もしくは僕らみたいなバンドになるか、分散していったんだ。