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ニューメキシコ州の荒野に消え入る町

「ここに何件の家屋が建っていたのか想像できないだろ」とベン・シスネロス(Ben Sisneros)はグレートプレーンズ(Great Plains)へと続くペコス川(Pecos River)の渓谷を眺めながら呟いた。「昔はバー、商店、学校があったんだ。ちょうどあそこにはラ・サラ・ダンスホール(La Salla Dancehall)があった」

現在、ダンスホールはもぬけの殻だ。われわれは、ニューメキシコ州のコロニアス(Colonias)の陽射しのなか、倒壊しそうな教会の傍にいる。教会の周辺はゴーストタウン化が進み、数年後には、荒野に飲み込まれてしまうかもしれない。シスネロスは、ここで暮らす数少ない家長のひとりだ。

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彼は80歳になろうというのに、実年齢より10歳ほど若く見える。彼は幾度も死にかけらしく、その容姿には余計に驚かされる。シスネロスによると、彼はドクイトグモに噛まれた経験が1度、心臓発作を発症した経験が1度、雷に打たれた経験は2度あるそうだ。彼は、自らの寿命の長さに感謝している。その理由のひとつには、ガソリンの治癒力が影響しているそうだ。彼の説明によると、ガソリンは、蜂に刺されたさいの解毒、切り傷、耳の疾患に効くらしい。「口からガソリンが飛び出してくるまで、耳に注ぎ続けるんだ。そうやったら、俺の難聴はあっという間に治った」

コロニアスの住民, ベン・シスネロス.

コロニアスの衰退を食い止めるのは難しかった。かつて、ここには数千の住民が暮らしていた。しかし、現在は打ち棄てられた集落の廃墟で7世帯が暮らしているだけだ。ニューメキシコ州東部には、このような町がいくつかある。プエルタ・デ・ルナ、イエソ(Yeso)、ヴォーン(Vaughn)、カプリン(Capulin)、クエルヴォ(Cuervo)、コルモール(Colmor)。どこもかつては、農業や鉄道の恩恵に与り繁栄したコミュニティだ。しかし、長期的な経済動向の影響、もしくは、鉄道ルートの変更が住民のバイタリティを奪ってしまったのだ。そして、現在、これらのコミュニティは見る影もなく寂れるか、打ち棄てられてしまった。

「その辺はいいスポットだ」。ニューメキシコ州で暮らすニック・トルヒーヨ(Nick Trujillo)の趣味は、州東部の人里離れたゴーストタウン探索だ。「たとえ、立退きから何十年過ぎていようとも、他人の家にお邪魔するのは、すごく立入ったはなしだ」

放置された私物.

住民たちは、しばしば、大急ぎで立ち退いたようだ。内に入ると、床に物が撒き散らされており、まるで、ずっと昔に空き巣に入られた現場のような有様だ。別の家屋では、食器がテーブルに置かれたまま、鍋はコンロにかけられたまま、食器棚の扉も開かれたままだ。まるで、その家族は朝食の最中に立ち退いたかのようだ。子供向けの人形、ビニール製のクリスマスツリー、郵便ハガキなど、残された遺留品は、家族団欒の様子、地方の衰退、両者を同時に想起させる。

スティーヴ・フィッチ(Steve Fitch)は、「このような平原地帯の荒廃は19世紀後半に始まった。入植者が増え続けようと…」と著書『Gone: Photographs of Abandonment on the High Plains』に記している。「町の放棄は、世界恐慌によって加速した。住民の流失は今なお続いている」

窓から望むコルモール.

なかでもイエソの町は、住民流失で大きな打撃を受けた。最盛期には300世帯以上あり、大勢が鉄道産業に従事していた。しかし、鉄道産業の衰退に伴い、住民は立ち退き、1950年代までにほとんどの住宅が放棄された。今日、このゴーストタウンは、複数の州にまたがる衰退のいち部をなしており、このような荒地は線路の北側から平原の黄土の谷へと伸びている。

カプリンに佇む住居.

「ここはどんどんと寂れていっています」。デブ・ドーソン(Deb Dawson)は自宅の前で6匹の子犬に囲まれている。彼女は、公共事業促進局(WPA)が建設した、学校の校舎を改築した住居で暮らしている。ドーソンは、イエソに残った住民2名のうちのひとりだ。彼女は、80年代に彼女の夫を追ってここに定住し、その後、夫はこの地を去ったが、彼女は留まり続けている。2016年4月現在、彼女は保護された動物を保健所から貰い受け、約10匹の犬、約20匹の猫と暮らしている。「私は動物が大好きです」とドーソン。「動物は良き仲間でして、彼らのおかげで神に親しみが湧きます」

クエルヴォに佇む住居.

近隣のゴーストタウンは、プエルト・デ・ルナ(Puerto De Luna, PDL)だ。コロニアスから東に約50kmのところに位置している。19世紀中頃に、まず、ヒスパニック系の移民がこの地に定住を始め、続いて、ヨーロッパ系移民が入植した。

「最終的には、パジェス系、ゲルハルツ系、グレラチョースキーズ系などの若い東欧からの移民が入植するようになった」とプエルト・デ・ルナに長く住むリチャード・チャベス(Richard Chaves)はいう。「彼らは、メキシカン・カルチャーのいち部になったんだ。このような文化的同化は、ニューメキシコ州にある数多のコミュニティで起きていた」

プエルト・デ・ルナの語り部リチャード・チャベス.

「当時、ここにはたくさんの住民が暮らしていた」。オラシオ・ロペス(Horacio Lopez)の母親はゲルハルツ系だった。鉄道が開通したのを期に、「町の荒廃が始まった。そして、今のところ回復していない」とロペス。

「20世紀初頭から、人口は減少し続けている」とチャヴェスは加えた。彼は、プエルト・デ・ルナに数人いる市井の語り部だ。「何名かはここに戻ってきた。退職後の人生のため、もしくは、死を待つためにね。ここがわれわれの故郷なんだ。ここには語り継ぐべき重要な物語や歴史がたくさんある」

イエソの夕景.

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